プロ奢ラレヤー氏がインタビューで「”自分にとって”低コストで生産できるもの(例えるならば勝手に出てくるウンチの様なもの)をお金に変換できれば生きていくことは簡単」みたいなことを発言していてなるほどと思ったと同時に、何も労せずにできたものに値段がつく人というのは才能を持っている人なのではないかとも思った。つまり、才能がない人は高いコストを払って生産しないといけないからしんどいんだなあと思った。
そしてさらに興味深かったのは、プロ奢ラレヤー氏はクロード・レヴィ=ストロース著「野生の思考」をおすすめ書籍に挙げていて、「小屋ぐらし」は言ってみれば未開人と文明人の間をとったような生き方だなと感じた。
未開人の思考で重要な概念として出てくるのが「ブリコラージュ」という概念で、フランス語の「bricoler」(素人仕事をする、日曜大工をする)から。 ありあわせの手段・道具でやりくりすること。 通常「器用仕事」と訳されるそうだ。これをさらに補足するのならば、「設計図を持たず、『完成』という状態をそもそも持たない」ものということなのではないのかと思った。これは小屋暮らしの本質をちゃんと指していると思う。一般的な住居は完成形がある。だけど、小屋は、住む人が必要と感じる時に必要なだけ作ったり、解体したりを繰り返していて、まるで生き物のように環境や状況に応じて臨機応変に姿を変える。
現代社会では「完成」という概念が付き纏っていると思う。未完成なものはダメなもので、完成こそが望ましいことなのだと思われている気がする。これが現代社会の息苦しさの一つの原因なのではとも思う。